調べたら出ていた。アメリカの原潜等に使われている標準的な加圧水型だった。
でも、海水がたくさんある船ならともかく、空では積んである分の水しかないから、そのあたりが問題で中止になったようだ。実験機体には大量の水が積まれており、冷却と減速材と放射線防御の役割を果たしていたのだと思われる。
1951年2月、コンベア社と空軍の間で、X-6原子力推進実験機2機、先行予備実験機1機の製作契約が結ばれた。
B-36H爆撃機を改造して、まず航空機に搭載された原子炉の放射線から搭乗員を守れるかを実証するため、シールド実験機が2年かけて製作された。
後部爆弾倉内に原子炉を搭載し、操縦席を水でシールドした重さ12トンのカプセルで保護し、前面風防は厚さ23cmの鉛ガラスが使われた。
NB-36H
NB-36Hと呼ばれたこの機体が飛行する時には必ず2機の随伴機が寄り添った。
1機は放射線測定用のセンサーが搭載されたB-50で、空中での原子炉運転時の周辺放射線量を測定していた。
もう1機は完全武装の海兵隊降下部隊が乗り込むC-119輸送機で、もしNB-36Hが墜落・不時着した場合、汚染された墜落地点付近を封鎖・隔離する任務が与えられていた。
しかし肝心の 原子力推進エンジンの開発は難航を極めていた。
J53ターボジェットをベースに、当時としては小型のジェネラルエレクトリック社製 P-1加圧水型原子炉を使って、コンプレッサーで圧縮された吸入エアーを加熱して噴射するという、ジェットとの複合エンジンをプラット&ホイットニー社も参加して開発に取り組んでいた。
しかしこのエンジンを実用化するには、より高温の炉心と高度な冷却技術が必要で、原子炉の方式変更を含めて幾度と無く検討を繰り返したが、原子力推進エンジンの開発は当面不可能という結論に達した。
X-6計画は1953年、実機が生まれることなく正式に中止が決定した。
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